快適な生活(を提供するCLUB)

疲れた。月に一度の通院を終え、ネカフェにいる。

人に関心を向けることも人から関心を向けられることも気力、体力を使う。しかし、人が社会で生きていく上で何らかの形で他人に関心を向けたり他人から関心を向けられるということは避けられないことで、極論、他人に関心を一切持たず他人から関心を一切持たれない人間というものが存在しうるとしたら、そいつは死んでいるかこれから死ぬかのどちらかだろう。

他人に関心を持ち続けなければならないということは、他人に対して監視の目を働かせることを強制され続けるということで、同時に、他人から関心を持たれ続けないと生きていけないということは、他人の監視の目を逃れては生きていけないということだ。監視という強い言葉を使うと超しんどい感じがするが、超しんどいのが社会ではなかったか。

で、ネカフェにいる。

この空間にいる全員の全員に対する関心は限りなくゼロに近い。従業員から客に向けられる関心も、飲食店などで発生するそれよりは遥かに弱いように感じられる。

また、僕の想像する限り、この空間にいる全員がここにいるということについて感動していない。「ネカフェ行ったるど、ウキウキ!」な人はいないか、少ないように思われる。現に僕もある種の逃げの結果としてここにいる。

この無関心、無感動、情緒の交通や運動の「なさ」に包まれた空間が今の僕にはとても落ち着く。暗いね。愛ねえ、暗いね、継母とブティック。ゲラゲラ。隣のブースにいる誰かも一人で笑ってる。でもその笑いは僕に向けられていないし、何がおかしくて一人で笑っているのか僕には一切興味がない。

快適な生活!

明日も生きのびるため、無に包まれながら眠剤を飲んで寝る。