階段地獄

2月27日、私はマンションの7階、自室のベッドに寝そべっていた。

時刻は午後1時を過ぎたところだった。

そのおよそ2時間程前から、私の脳内ではエレベーターの上り下りするゴウンゴウンという音が鳴り止んでいなかった。

他の階の住人が引っ越し作業をしているのか、幻聴か、それ以外の可能性は思い付かなかった。

と言うか、引っ越し作業だとすればゴウンゴウンという音が「鳴り止まない」ということは考えにくかったし、私がかれこれ3日と半日もの間一切眠れていないことから推察するに、このゴウンゴウンは幻聴でほぼ間違いなかった。

眠りたかった。

眠りたいのに脳が発火したように冴えわたっていた。

冴えわたった脳内にエレベーターの音が鳴り響き続けていた。

到底眠れそうにないことが自分でわかったので入眠は一旦諦め、脳が冴えわたっている今なら何か簡単に人生のイージーモードに突入し残りの人生をスキップでクリアする方策を思い付くのではないかと考えてみたが、ゴウンゴウンが邪魔をして何も思い付かなかった。

思い付かなかったし、たとえ思い付いたところでまず眠れないことには何にもならないのだった。

スマホの電源を入れると、未確認の通知が28件あった。

おそらく無断欠勤しているバイト先からだったが、どうでもよかった。

眠らなければならない。

眠れない時は眠らなければならないと考えるからかえって眠れないのであって、眠れなくてもいいと考えることによって逆にスムーズに眠れることがある、などと誰かが言っていた。

黙れ。

3日半眠れていない私に、たとえ自己暗示のような意識の動きであっても、眠れなくてもいいなどと考えることが出来るはずがなかった。

人生のイージーモードに突入する方策を考えることを諦め、再び眠ることだけに意識を集中させ始めた時、依然脳内で鳴り響き続けていたエレベーターのゴウンゴウンという音の後ろで、三味線と笛の音が微かに聴こえ始めた。

そしてその三味線と笛の音が鳴り止むか鳴り止まないかぐらいの時に、人が流暢に話す声が聴こえ始めた。

微かに聴こえる声をよく聴くと、それは落語のような何かであった。

依然鳴り止まぬゴウンゴウンの後ろで落語のような何かが始まり、落語というものをほとんど、と言うか意識的には一度も聞いたことがない私は、何故よりによってそのような幻聴が生じるのかと可笑しくなり、笑っている場合ではなかったが笑った。

また、この落語のような何かは私にしか聴こえていない上に、言ってしまえば私が、と言うか私の脳がまさにリアルタイムで生み出しているものであり、何かを創作することとは無縁の私が人生で初めて生み出している創作物とさえ言えるのではないか、ということに思い至り、何だか愉快になってきた。

この落語のような何かを記憶し、記録しようと思った。

私の脳が生み出しているこの落語のような何かが、私が人生のイージーモードに突入するきっかけになると思った。

そう思うと、これはもはや私の脳が生み出しているのですらなく、神が私に与えているのか天から降ってきているのか、何でもいいが、私の与り知らぬ大きな力が働いた結果の産物なのではないかと思った。

思ったところで意識が途切れ、全ての音が鳴り止んだ。

目覚めると、日付は3月1日、時刻は午前8時半であった。

ひとまず眠れたことに安堵し、朝食を買いにコンビニへ向かおうと玄関を出た。

すると何故かエレベーターが無くなっていたので階段で1階まで降りた。

これから外出の度にこれだけの階段を上り下りしなければならないと思うと惨憺たる思いであった。

私は引っ越したいと思ったが、そんな金はどこにもなかった。

私はどうしても人生のイージーモードに入れない。