2021/08/28

先輩が薦めてくれた『生きがいについて』(神谷美恵子)を読んでいる。

最近読んだ『愛が嫌い』(町屋良平)の「生きるからだ」という短編の主人公の「生きがいに搾取されないで生きていたいなって。これ、すごく難しいからね!日々は勝手に生きがいを要請するんです。それが人間ってやつだ」という台詞が強く印象に残っており、また、「生きがい」という言葉自体にも何か多少の違和感を感じる部分があったので、「生きがいとは何だろうか」ということを今一度考えたかったというのも、『生きがいについて』という真っ直ぐで素朴なタイトルのこの本を読む動機としてあった。

半分くらい読んだ時点での感想を(どう考えても全文読み終えてからまとめて感想を書くべきなのだけど、個人のブログなので書きたい時に書けるだけ)書く。

この本では様々な事例(著者が直接関わった患者の例を含む)や文献を基に生きがいについて多角的に考察されているが、前書きに「あるひとにとって何が生きがいになりうるかという問いに対しては、できあいの答はひとつもないはずで、この本も何かそういう答をひとにおしつけようという意図はまったくない」「著者の理解と考えの及ばないところに、まだたくさんの大切なものが残されているにちがいない」とあるように、生きがいについて何か決定的な結論を導こうという内容ではなく、つかみどころのないような生きがいという問題について考え、真相に近づこうというあくまでも「試み」である。たぶん(まだ半分なので)。

様々な角度から生きがいについて考察されている中で、「意味と価値への欲求」の項にあるベルジャーエフの引用に含まれる「自己の生の意味の探求それ自体に意味がある」や、「悲しみ」の項で述べられる「深刻な否定、悲しみの上にこそ深い肯定、生命力の発現をいとおしむ心が生まれる」といった、不幸や苦悩を含む生きるということに対して肯定的な言説が今の僕には強く印象に残った。ただ、そういった希望が持てる「美しい」言葉が強い実感を伴って自分の中に受け入れられているかというとそうでもなくて、「そう信じたい」という感情が土台にあって惹かれる部分も結構あるように思う。

余談かもしれないが、先に書いたような僕の印象に強く残った言説は国府達矢が苦悩を経てたどり着いた場所にあるものに似ているんじゃないかと感じた。

この本は「人間がいきいきと生きていくためには生きがいが必要である」ということを前提に書かれており、そのことには読んでいるうちに納得させられるが、その一方で「日々から勝手に要請される生きがいに搾取されたくない」と言う「生きるからだ」の主人公にも共感する部分がある。少なくとも、自分で考えることをやめて外部から一方的に要請され供給されるような生きがいに搾取されたくはないと思う。

この本が生きがいという問題についての真相に近づこうという「試み」である以上当然と言えば当然だが、「生きがいとは何か」という問いに対する答えはまだ(半分読んだ時点で)自分の中で漠然としている。ただ、この本が生きがいということに限らず、日頃何となしに、時には深刻に、考えたり考えないようにしたりしている生きるということの根本にある問題について考える上でのヒントを与えてくれているのは確かなように思う。まだ半分だけど。

全文読んでの感想も気が向いたら書こうと思う。